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優しい現夢




赤楽50年目の春、慶国主上に柴望から手紙が届いた。
和州の州都で毎年行われている春祭りに陽子を招待したいとのことである。
陽子は長いすの上で横になり下界に下りることを断るつもりで、浩瀚の話を聞いていたが、手紙の中に書いてあるらしい見事な桜並木という言葉に体を起こし、報告をする浩瀚の顔を振り仰いだ。
「和州の桜並木か。是非行ってみたい。」
頬を赤くして身を輝かせる主に浩瀚は頷いた。
元々が最近、疲れた様子を見せる陽子を喜ばせる為に、浩瀚が柴望に持ちかけた話である。
浩瀚の宅に訪れた陽子が、桜の下で子供のようにはしゃいで見せた姿に浩瀚は和州の桜並木のことを思い出したのだ。
「手配をしておきます。」
そうして、陽子の私室から退出しようとした浩瀚の袖を陽子は掴んだ。
「お前も来るだろう?!」
もう決まっていることのように言う陽子を見て、浩瀚は内心で笑った。
浩瀚とて元より、そのつもりなのだ。
「陽子が望むのであれば。」
浩瀚は袖を掴む陽子の手をそっと掴み返すと、自らの唇に引き寄せた。
陽子は、浩瀚の答えに満足しそっと唇から手を引くと椅子にもたれ、浩瀚を見上げると手を伸ばした。そして訪れた浩瀚の重みに笑い、そっと抱きしめた。



そうして訪れた春祭りに行く日、陽子と浩瀚は会場へと向かう。昨日は和州城に泊まり、今日は春祭りを見物しに行くのだ。
随分と久方ぶりに感じる下界の風の中、金波宮で最近流行りの春の歌をくちずさみ陽子は上機嫌である。
今回の計画が、陽子の後ろに座った男が立てたことくらいは分かっているのだ。
陽子は浩瀚の手に自分の手を重ね合わせた。
そうしている内に浩瀚が、はしゃぐ陽子に着いたことを伝えるので、指差す方角を見つめると桜の大木が延々と続いていくような通りがあった。
「心が吸い込まれそうだ。」
嬉しくなり満面の笑みを陽子が浮かべた時、風が吹き沢山の花びらが陽子を包むように舞った。
「陽子、知っていますか?桜の精は人が大好きなのです。人が自分の方を見上げると嬉しくなり風に合わせて花びらを散らします。ですが、人の楽しそうな顔を見ることは出来ても、気付いては貰えない桜の精は時折、気に入った人物に幻を見せるのですよ。」
似合わない話を楽しそうに語る浩瀚の姿を陽子は意外な思いで見た。
「浩瀚は桜の精に会ったことが有るとか?」
浩瀚は嘘をつかない・・・と、陽子は思っている
「はい。昔に。」
あっさりと頷き、相変わらずニコニコと笑っている浩瀚を陽子は驚きと共にまじまじと見つめた。
―― 今、この男にも桜の精がついてしまったのではなかろうか
陽子には今の状況の方が余程、幻に見える。
男の夢想的一面を面白く思い、もっと聞いてみようと口を開きかけた陽子に、浩瀚は優しく笑って見せた。
「今の主上ならば、会うことが叶うやもしれません。」
幻の中にいると思った浩瀚が、何やら陽子を幻の中に誘っている。
「今の私なら?!」
「はい。・・・ですが、必ず帰って来て下さいね。」
陽子の心の疑問は、全てを分かっているような浩瀚の様子に霧散した。
「会いに来て、くれるかな。」
陽子は桜の木を、期待を込めて見つめると、浩瀚の手を放れて社があるという場所へと駆け出した。



ふと気付くと陽子は自分の体が宙に浮いていることを知った。
「杜へ向かっていたはずだよな。どうしたんだ?・・・浩瀚?」
周りを見渡すが誰一人として宙に浮かぶ自分に気付いている者はいない。
しかしその心地良さといったらどうだろう。
一本一本の桜の木は微妙に色を違えて光って見えるのだ。なんて綺麗なのだろう。
ずっと、ここに居ても良いような
ずっと、ここに居たいような
「私は、一体どうしてしまったんだ。」
陽子は呟き、何が起こったのか探ろうと宙を歩き出すと、頭上から綺麗な音楽が聞こえてきた。
「うん?」
上を見上げると、何やら不恰好な小さな生き物が陽子を見て笑っている。
どうやら、この音楽はこの生き物の笑い声のようだ。陽子がジッと見つめていると、生き物は桜の枝からピョンと飛びはね、陽子の頭の上に舞い降りてきた。
<好き。好き。>
頭の上ではしゃぐ生き物を、掴み上げ自分の前に持つと、陽子は生き物の瞳をシゲシゲと見つめた。
「お前は、桜の精なのか?」
生き物の瞳を見つめると、陽子は吸い込まれるような気持ちになった。
「お前が桜の精なんだな。」
確信に近い気持ちで言うと桜の精は陽子の手を放れ、走り出した。
「あっ。待って。」
陽子は追いかけようとしたが、下に行きかう人々の群れを見、唐突に立ち止まった。
「帰らなくちゃ。」
その言葉に、先ほどの桜の精が陽子の元に戻ってきた。
<帰らなくちゃいけないのか?>
陽子は桜の精をなでると優しく言った。
「帰らなくちゃいけないんだ。待っている人もいるから。」
言っていて何故か悲しくなる。
<いてもいいぞ>
その言葉には何故か答えられず、陽子の瞳を見つめる、澄んだ瞳を見つめ、陽子はたずねた。
「お前は人が大好きなのだってね。人に気付かれぬまま、人を愛することはつらくはないか?桜の花が散り、去っていく人を見た時、つらくはないか?」
近年、慶国が落ち着き、共に陽子と国の復興の為に努力していた多くの者たちは陽子の元から去っていった。
分かっている。
いつか、こういった時が来ることは分かっていたのだ。
でも、ずっと何時かの話でいて欲しかった。彼らを陽子が追いかけることは出来ないのだから。
桜の精に問いかけながらも、陽子は既に答えを持っていた。
この、桜の精の世界が陽子を包み込む空気は優しく、人の中に舞い落ちる桜の花びらは優しかったから。
その優しい空気が、陽子に思い出させる。去っていった者たちとの沢山の思い出や、今側にいる者たちの沢山の愛を。
それは、この桜の精も持っている。
きっと無くなることはない。
「帰っても良いか?」
桜の精は頷いた。
<思い出せば良い。いつだって思ってくれている誰かがいること>



気付くと陽子は杜の前で浩瀚の前に立っていた。
「ただいま。」
全てを分かって立つ浩瀚に陽子は泣きそうになった。浩瀚にも陽子のような孤独を抱いたことがあったのであろう。
「お帰りなさいませ。」
春を祝い、未来を願う人々の群れは輝いていた。
「浩瀚。下界に下った者達が、幸せになってくれると良いな。」
浩瀚は微笑んだ。
「そうで御座いますね。」


今年の桜ももう終わる。
今年もどうも、ありがとう。






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(06.04.16) 十二国桜祭り参加作品 Written by しおり様


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