柔らかな草の褥に腰を下ろして、二人は花を見つめていた。
風も音も無い静寂の中を、花びらだけが時の流れを纏って舞い降りる。
ひらり……ひらりと薄紅が、ただひたすらに降り積もる。
生まれた時から添っているように、静けさが二人を取り巻いていた。
運命というものがあるとすれば、それはきっと隣に座る温もりなのだろうと彼は思う。
出会うはずのない別々の時空から引き寄せられたこの奇跡に、彼がことさらに使う言葉はない。
飽きるほどに生きてきた者には、傍らにある温もり以上の絆は必要なかった。
「人の時間は、桜の花のようだね」
神の時間を歩む娘が呟いた。
繰り返し咲いては散ってゆく、その花の一生は儚いからこそ美しい。
幾度もそれを見送ってきた娘の心の中にも、この薄紅は降り積もっているのだろう。
彼が既に手放し忘れてしまった何かを、この娘は思い出させてくれる。
「ねえ、只人として生きて死ぬ自分を想像したことはない?」
問いかける翠の瞳には、蒼い空にただ一つぽっかりと浮かぶ雲が映っている。
男は立てた膝に頬杖を付き、その玻璃のような透明感のある瞳を見つめたまま娘の口元から零れ落ちる言の葉を待った。
「畑を耕して作物を育て、帯に刺繍をして里木に願うんだ。縫い物は得意じゃないけど……ゆっくり刺せばきっと上手くできるよね…………とか」
途切れた声の間を縫うように、ひらり、ひらりと散る桜に娘はそっと手を伸ばした。
無風に落ちる花の欠片は、ただ空気の抵抗を受けて牡丹雪のように手のひらに舞い降りる。
手の温もりに融けることのない風花を、彼女はそっと両の手に包み込む。
それは生きることのできなかった、もう一人の彼女なのかもしれない。
「でも、その時隣にいる人は……たぶん、あなたじゃない……」
時の流れの中でふと立ち止まった時、幾つもの答えのない問いが彼女の紅の髪をさらりと撫でては通り過ぎていく。
どちらが幸せかと男が問えば、娘は、分からないよと言って笑った。
迷いも、痛みも、情熱も、愛情も、その全てがいつか色褪せる時が来ることを男は知っている。
だから彼はこの娘を愛したかったのかもしれない。同じ時の流れを共に生きていく為に。
守らねばならぬものは捨ててしまいたいほどにある。
しかし寄り添って歩みたいと思うのはただ一人だけ。
いつのまにか、娘の頬に落ちた一房の髪に花びらが止まっていた。
彼が指の背ででそれに触れると、そこには温もりがあった。
それは彼にとって、おそらくは最後の温もり。
翌年も、またその次の年も、きっと同じこの場所で彼は花を見送るだろう。
幾つもの答えのない問いが二人の前を通り過ぎていっても。
きっと、同じこの花を見送るのだ――
……残して逝きはしない……
言葉は溶けぬ雪花に紛れながら、風に舞って空に消えた。
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見送る花への餞、桜の花を餞に、どちらの意味にとって下さっても結構です^^