「うわ〜〜〜、やっと終わった〜〜。」
陽子が大きな声をあげる。
本日の午後における国王の執務は、けっこうな量だった。朝議が早く終わった分、午後の陽子の執務が増えたような、そんな感じがした。
浩瀚にたしなめられて正解だったな、と陽子は思う。
そんな陽子に、彼女の好きなお茶を入れながら、鈴が問いかけてきた。
「ねえ陽子。あなた、雲海の下へ降りたんでしょ。桜はどうだった?」
「うん。ちいさな白い花をつけた桜は満開だったよ。でも、他の種類の桜は、まだつぼみだったな。それからね、胡琴という楽器を練習している人がいた。」
「あら、楽器の練習なんて珍しいわ。どこへ行ったの?」
「大学の学舎の裏だよ。」
「そうなの?あそこの園林もとても綺麗に整備されているわよね。陽子が好きなように、自然な野山の風情を損なわないようにしているけど。」
「ああ、そうなんだ。寒桜という種類らしいね。ひらひらと、花びらが落ちてきて、綺麗だった。」
筆やすずりを片付けながら、祥瓊も話題に加わる。
「それで、陽子。陽子の好きな桜は、今年は見つかりそうかしら?」
「どうだろう・・。実はもうあきらめてかけているんだ。あれは、きっと蓬莱特有の種類なんだよ。」
そうなのだ。
陽子は蓬莱にいたときから桜が好きだった。
小学校に入学したとき、中学校を卒業したとき、大きな桜の木が学校には植えられていて、まるで雪のように、花びらを舞い落としながら、そのときどきの式典を祝ってくれたのだ。
常世には桜はたくさんあったが、なんとなく違うのだ。
少し赤みが強かったり、花びらが舞うのではなく、花ごと落ちてしまったり、花と同時に葉が出ていたり、その花びらが大きかったり、小さすぎたり・・・・。
陽子が大好きだった桜の花と同じものは、常世には無いようだった。
それで、陽子は、諸官には内緒で、密かに里木にその桜を願っていた。
そう、彼女は慶国の復興のために、思いつく植物は思いつくだけ、里木に願ってきた。
思い通りになったものもあれば、そうでないものもあったが、その桜だけは、何回願っても出てこなかった。
自分勝手に好きなものを願っても、きっと天帝には聞いてもらえないのだ、と思っていた。
「台輔にお願いして、取ってきていただいたらどうかしら?」
「ああ祥瓊、ありがとう。でも、いいよ。そんなことのために蓬莱へわざわざ出向く危険を、景麒にはさせたくないよ。」
「あら、陽子はやさしいのね。」
きっと、誰よりも喜んで貴方のために飛んでいくと思うけど、という祥瓊に、だから余計頼みにくいんだ、と答えて、ひとつため息をついた。
「ねえ、その陽子が大好きな桜って、なんと言う名前の桜なの?」
鈴がたずねる。
「うん、確かソメイヨシノっていうんだ。」
鈴は知らなかったが、陽子のいた時代、蓬莱で桜と言えば、そのソメイヨシノが一番一般的な桜だ。ところが、なぜかソメイヨシノは常世には無かった。少なくとも、このときまでは無かったようだ。
陽子は、本当に自分のことは後回しにする性格だった。
だからこそ、鈴と祥瓊は、例えそれが小さなことであっても、陽子が望むことならば、かなえてやりたいと思うのだった。
二人は、話し合い、太師である遠甫のところへ相談しに行った。
「ふうむ、それは特別な桜なんじゃろうな。」
遠甫は、あごをなでながらしばし思案する。
「蓬莱のことは壁老師に尋ねてみてはどうじゃ。確か、まだお元気と伺っているが。」
壁落人は、陽子が常世で楽俊に会い、雁国の首都を目指して旅をしていたときに出会った海客だ。彼にあったことから、楽俊が「陽子は景王だ」と推測することができたのだから、陽子にとっては縁の深い人物と言ってよい。
彼は、博学で蓬莱の知識もよく知っており、慶国の重臣たちも、ことが蓬莱に関係するようなときは、その時々で文を送っては、わからないことをたずねたりしていたのだ。
祥瓊と鈴は協力して、太師からということにして、文を送らせてもらった。
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