それから、ソメイヨシノの鉢植えは冬官によって研究され、増やす試みが行われた。
いくつかの苗木が、成功し、そこからまた、苗木ができる。
こうして、慶国にソメイヨシノが、ゆっくりとではあるが、根付いていったのである。
それから、何年か経った。
背丈よりも少し大きくなった桜が、池の周りにぐるっと植えられている。
その周りには、散策ができるように、控えめではあるが、人が通ることのできる道が整えられていた。
今年はいくらか暖かいのか、4月に入ってしばらくすると、ソメイヨシノは狂ったような満開の花を風に乗せて散らし始めていた。
慶国は陽子を王にいただいてから、ゆっくりとではあったが復興してきている。この桜が、戦乱などを経験しないですくすく育っていることを見ても、よくわかる。
あと2〜3年もすれば、もっと大きくなって、この桜の下で人が立つことができるようになるだろう。
そうすれば花見の宴でも何でもできるようになる。
今は目立たぬこの道も、多くの人が訪れ、桜を愛でながらの散歩が人々の日常になるかもしれない。
この日、陽子は冢宰とともに堯天に降りていた。桜の見聞をするためだ。朝議が終わって、簡単な昼餉を済ませた後、執務の前に班渠に二人してつれてきてもらった。
「浩瀚、これがソメイヨシノだ。」
「はい、美しゅうございますね。」
そのとき、春の強風が二人の官服のすそをばたばたと音をたてさせながら騒々しく通り過ぎていった。
二人は思わず息を止め、風が通り過ぎてから、ほっと息をつく。
すると、あたり一面、ソメイヨシノの花びらが、渦を巻くように飛び交っているのが見えた。
その、雪のごとく舞い踊るはなびらを、二人はひととき、じっとして共に眺めていた。
陽子の後ろを歩いていた浩瀚は、ふいに陽子の両肩を後ろからそっとつかむ。
「どうした?」
びっくりした陽子は振り返り、不安そうに浩瀚の顔を覗き込んだ。
「いえ、風が強うございますので。」
「支えてくれたの?ありがとう。」
こぼれるような笑顔は、あの登極のころから変わらない。浩瀚の大好きな陽子の表情であった。
この笑顔を見ることができるのならば、私は何でもやってみせる。
浩瀚だけではない。多くの人がそう思った。
名前の通り、太陽のごとく輝く笑顔であった。
浩瀚は、このひと時を過ごすことのできる自分のいまの立場に感謝していた。
主上は確実に成長されている。
民人は主上を慕い、この桜を植えるという。慶国の中では、ずいぶんと増えたようだ。
「この桜を見ているとね、まるで自分のような気がするんだ。」
「美しいからでございますか?」
浩瀚の答えに、陽子は目を丸くして、顔を左右に振った。
「浩瀚は何を言っているんだ。私と比べられては桜が迷惑だろう。せっかく咲いたのに、しぼんでしまうよ。」
この答えを聞いて笑い出したのは浩瀚のほうだった。相変わらず我主上はご自分の魅力をご理解されていない。
「そうではなくて、人の手を介さないと、こうして増えて花も咲かせられないってことだよ。」
浩瀚は、すっと笑みが退ける思いがした。
「私は、多くの人の手を借り、多くの人の思いで、国主という立場に立っている。忘れちゃいけないと思ってさ。」
「主上に申し上げます。」
「ん?何だ改まって??」
「先日、庭師からこのソメイヨシノについて報告を受けたのでございます。」
「ほんと?聞かせて。」
「はい。この桜、一般的には挿し木と接木で増えるといわれ、事実そのようにして増やしてまいりました。しかし、ある程度大きくなったソメイヨシノでは、その根元から、若木が生えてくるというのでございます。」
「ふうん、そうなんだ。」
「普通は、接木などで増えた樹木は、その根元から若木が生えてまいりましても、その木ではなく、台木になった方の樹木が生えてくるのでございます。」
「それはそうだろうね。元に戻るんだな。」
陽子が感心して肯く。
「しかしながら、何年か経ちましたソメイヨシノの根元からは、やはりソメイヨシノの若木が出てくるようになったのだそうでございますよ。」
「へーー・・そうなんだ。あれ?ということは・・。」
「はい。たとえ、実ができなくても、『勝手に増える』ことができるようになったようでございます。」
「すごいね、それ。さすが、植物は生命力があるよね。株分けするのか・・・。え、じゃあ人の手を介さなくても増えるの?」
「左様でございます。」
「それは、面白いことを発見したね。蓬莱でもそうなのかなあ・・。ある程度大きくなった木からは、その脇から、子供みたいに若木が生えて増えるんだ。なるほどね。」
そこで、陽子は気づいた。
浩瀚が自分のことを桜に、ソメイヨシノの根元から出てくる若木になぞらえて言っているんだと。
ある程度大きくなった桜。
私も、「ある程度」大きくなったのだろうか?
自分も、国王として、新しい芽を生み出しているのだろうか。
「自信を、お持ちなさいませ。」
浩瀚の、まるで降りかかる桜の花びらのような優しい笑顔に、陽子は一瞬引き込まれるかと思った。
「ああ、そうだね。自信を持たなければ。」
桜はひらひらと、何時までもそのあわい色のはなびらを散らしている。
「浩瀚。」
「はい?何でございますか。」
「ありがとう。もう私も大丈夫かな?」
「もちろんでございますとも。」
「ちょっと、いいかな?」
「はい?」
訝しげな顔をした浩瀚の瞳の中に、真っ赤なふわふわしたものが飛び込んできた。
くくることもせずにそのままにした陽子の髪が、浩瀚の瞳の真下で揺れている。
陽子が、浩瀚の胸に顔をうずめていた。
陽子の目からは、じんわりと涙があふれてきたのだ。
「主上、今だけでございますよ。」
多少厳しさをこめた、それでも優しい声が、陽子の頭のうえに降ってくる。
「ああ、ごめん。」
涙のせいか、すんなりとしゃべることができなくなった陽子は、桜の花びらの中でうずもれてしまいたいと思った。
暖かで、しっかりとした、思いのほか広い、浩瀚の胸であった。
やがて時は経ち、このソメイヨシノが咲く散歩道で、二人は、二人だけでなく大勢で、祝宴を催すことだろう。
慶東国よ、いつまでも幸多かれ。
終わり
Back | 感想等ログへ
ここまで読んでくださった皆様
ありがとうございました。
無事完結いたしました。(やれやれ)
ええと・・
ソメイヨシノの名誉のために一応説明いたしますと、
根元から、ソメイヨシノの若木が出ていることは最近発見されたようです。
このSSのように十年ぐらいでは、蓬莱では出てこないみたいですが、念のため。
それから、ソメイヨシノの発祥については、別の研究もあるようです。うちのSSで取り上げたのは、壁老師にご登場いただきたかったから、東大がらみにしておきました。
さらに、蓬莱ではクローンであるソメイヨシノ。寿命が短いといわれていますが、これも最近ですが、150年ぐらいのものは見つかっているそうです。
植物を侮ってはいけません。結構たくましいのです。
バラ科の植物は往々にしてそうなのですが、手をかけるとかけた分だけ美しく咲く、またはおいしく実がなるのです。しかしながら、ほったらかしてもなかなか死なない!根性があるのです。だから、バラ科の植物は好きなのです。
というわけで、空の桜話でした。
やっぱり、何も無かったでしょ(^.^)
ではでは、桜祭り、ばんざいです。